
今回はそんなお悩みにお答えします。
アイ・アールジャパン(IRJ)を無名時代から保有し、今年800万円の利益を得たshigeです。
お金儲けって特別な才能が必要と思われがちですが、実はそんなことはありません。
節約で貯めたお金を投資するだけです。
と当方が言っても説得力に欠けると思うので、今なお貯金本として輝き続けている
本多静六の「私の財産告白」を書評しながら説明したいと思います。
この記事の内容
積極的に元手を作る大切さ
古典的な投資法が最も効果がある
昔の本なので金額の単位とか言葉が現在と違っていますが、骨子は間違いなく現代でもそのまま使えます。
本多静六はこの貯蓄術で、100億円貯めたそうです。
読んで損はありません。
私の財産告白 著者 本多静六 1100円
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本多静六の紹介
1866年埼玉県菖蒲町生まれ。日本の公園の父と呼ばれ、日比谷公園など数多くの公園の設計に携わる。
若い頃は苦学の末、明治17年に東京山林学校(のちの東京農科大学、現在の東大農学部)に入学。
その後、ドイツに私学留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。
1892年、東京農科大学の助教授、1900年には教授に昇任。
研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。
戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活をつづけ、370冊余りの著作を残した。
1952年1月、85才で逝去。
本の要約
明治から昭和を生きた本多静六の財産形成方法が書かれた本。本の中身は「私の財産告白」と
「私の社会体験学」に分かれる。
本多静六は一介の大学教授でありながら、「4分の1天引き貯金」で作った元手を株や山林へ投資して
莫大な財産を築き上げた。
静六自身はもともと貧しい生活をしており特別な才能もなかったので、
編み出したノウハウが現代の一般人にも再現可能である事が名著たる所以。
「金儲けは理屈でなくて、実際である。計画でなくて、努力である。予算でなくて、結果である。」という言葉は心に響く。
ただ、その財産がきっかけで同僚から辞職勧告を受けたり財産の処分方法に悩んだりと、
お金の使い方で悩んでいる様が面白い。
そんな経験から、結局幸せとは財産の過多ではなく、その人の気持ち次第であり
「人生即努力・努力即幸福」というモットーにたどり着いた。
以上が本の要約です。
基本的にとなりの億万長者やバビロンの大富豪と同じで、お金の先にあるものが大事という主張です。
ただ、本多の場合は経験による裏打ちが主張を後押ししており、それが人気の理由でしょうね。
以下印象的だった部分を抜き出してご紹介します。
本多式「貯金法」

本多自身、子供の頃から酷い貧乏生活を強いられてきたということで、
ドイツ留学から帰国後の25才の時、貧乏脱出計画を実行する。
本の中で本多は「貧乏をこちらから進んでやっつけ、圧倒するぐらいでなければならぬ」と言っています。
貧乏に強いられて生活を詰めているようじゃだめだと。
確かにいつか貯金ができたら投資する・・・、という考えではいつまで経っても貯金はできません。
当方が経験済みです。
今までと違う結果を出したかったら、今までと違う行動をしなければいけません。
人間にはホメオスタシスという「現状維持したいという本能」があるので、苦しいことを避けてしまいます。
しかし、
苦しいのは最初だけでそのうち慣れてしまう事も事実です。
お金はなきゃないなりに生活できる
四分の一貯金は理にかなった方法です。



ちなみに出費の大きな要因の1つ人づきあいがありますが、当方はたまに同年会に出席する程度で会社の忘年会や飲み会なんて行きませんでしたよ。
それでも普通に仕事ができていました。飲み会は元々仲がいい人達がさらに仲良くなるだけのシステムですね^^
「全部使うな」はバビロンの大富豪と共通する
バビロンの大富豪の中に
収入があったら使っていいのは10のうち9までにする。そして1は残しておく。
収入がある度にそれを繰り返せば徐々に財布が分厚くなってくる。
という内容がありました。(言い回しは違うと思いますが・・・)
古今東西、お金を貯める方法は何も変わっていないと言う事ですね。
人間は20万円収入があったら、どうしても20万円全部使い切って良いんだと思ってしまいます。
特にサラリーマンは自分で辞めると言わない限り仕事がありますから全部使い切ったとしても「来月の給料があるじゃないか!」と考えてしまいます。
しかし、今回のコロナ禍でそんな考えは危険だと言う事が否応なしに証明されましたよね。
JALやANAの航空業界、京都などの観光地なんて訪日中国人に支えられたインバウンドで業績好調だったのに今や虫の息状態です。
飲食業も政府や自治体からの時短営業要請で売上が急減。
人が移動すればコロナが拡大するので「Go to」も停止と、ある意味こうなる事は分かっていたけどそれでも会社や店舗は対策できなかったんですね。

他人に付き合いが悪いと言われようが経済的自立を果たすために、
社会人として最初に身に着けるのは仕事の技術ではなく「コツコツ貯金する習慣」でしょう。
そもそもなぜ全部使いたがるのか?
「宵越しの銭は持たぬ」精神が発信源ではないかと思います。
江戸時代は医療が発達していないので病気にかかるとなかなか治せず死んでしまう事が多かった。
また江戸の町は火事も多かったのでいつ死んでもおかしくなかった。
だから定職も持たずその日暮らしの考えが浸透していったのではないかなあ。
そして今ではそういう人を「気前がいい」なんて褒めたたえる風情だけが残ったのでは。
それともう1つは「見栄を張る」事ですね。
豪華な生活をする → ”豪華な生活を維持できる収入がある”と周囲に見せる → 他人より優れていると感じる → 優越感がある
これが見栄の詳細ですね。
しかし、悲しいかな一度上げた生活水準は簡単には元に戻せません。だから自分の時間を削ってさらに働くという悪循環へ陥っていきます。

本多式「投資法」
実はドイツ留学中、本多はブレンタノ博士という方に
「貯金がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい。」とアドバイスを受けました。
本多はそれを株と山林投資に使いました。
そこで生み出された投資法が上記の2つです。
二割利食い
ある株を買おうとすると、いつもその全部の買受金を用意してかかった。
~中略~
そうして、それが引き取り期限の来る前に思いがけぬ値上がりがあった場合は、買値の二割益というところで、
キッパリ利食い転売してしまった。 P49より抜粋
厳密に言うと本多が買ったのは先物なので個別株とは違いますが、深追いせずさっさと手放せば良いということがわかります。
十割益半分手放し
いったん引き取った株が、長い年月の間に二倍以上に騰貴することがある
~中略~
そのときはまず手持ちの半分を必ず売り放つ。つまり投資の元金だけを預金に戻して確保しておく。したがって、あとに残った株は全く只ということになる。
只の株ならいかに暴落しても損のしッこはない。 p50より抜粋
いわゆるダブルバガーで保有株の半分売るということですね。
投資をしている人の間では結構有名な手法ですが、100年以上昔の日本でこれを実践していたのはすごいです。
焦らず、怠らず、時の来るのを待つ
本多はこの手法で大儲けをしたわけですが、太平洋戦争敗戦の大変動にあっては、
養老資金として残した特銀、海外株が零になってしまったというのです。
しかし、そんな失敗を恐れていては何もできない。
だからこれから投資をしようという人に向けて
「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返す」ことをお勧めしています。
この考えはニトリの社長と同じですね。
実際は売る判断が難しい
当方の場合IRJでダブルバガーを経験しましたが、決済する気はありませんでした。
というのも個別株の場合は会社の業績、ビジネスモデル、
将来性などを踏まえるとある程度その先が予測できるので、
まだ株価が伸びるIRJをダブルバガーで半分売ってしまうのはもったいないと思ったからです。
もっとも7倍になったところでコロナショックによる不安から売ってしまったのですが、現在も持っていれば16倍になっています。
利確のタイミングは本当に難しいです^^
まとめ
私の財産告白のまとめ
収入があったらまず速攻で1/4を貯金する
投資は「2割上がったら全部売却」「10割上がったら半分だけ売却」
景気の動向を観察して、時機を逸せず投資する事が大切
どれも普通の事です。
でもそれができない人が多いからこの本が売れているのでしょう。
人間は何もしなければとずっと貧乏生活をしなければいけません。
だからなるべく早いうちに無理して元手を作り、投資して経済的自立を果たす。
自立を果たせば自由な時間ができるからやりたいことに専念できる。
このサイクルに持っていく事が改めて肝心だなと思いました。
本多静六の「私の財産告白」の書評①でした。
書評②に続きます。
ありがとうございました。